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東京地方裁判所 昭和32年(モ)7628号 判決 1958年5月06日

債権者 丹羽洋子

債務者 伊野部正子

主文

当裁判所が、昭和三十二年(ヨ)第二、五五九号不動産仮差押申請事件について、同年五月十五日した仮差押決定は、認可する。

訴訟費用は、債務者の負担とする。

事実

第一当事者の主張

一  債権者の主張

(申立)

債権者訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

(理由)

(一) 債権者は、秋山陽子と共同名義で、昭和三十一年十月十日、債務者から東京都中央区銀座西三丁目三番地木造二階建建物の内二階八坪(以下本件建物という。)の夜間中の賃借権及びその建物内に備付のバー経営に必要な什器(以下本件什器という。)を次の条件で譲り受けた。

(イ) 期間は、債務者が賃借権を有する昭和三十三年十二月末までの二年三カ月とすること。

(ロ) 譲受代金は、金五十八万円とし、債権者は、これを前同日に金二十万円(手附金として)、同年同月二十日限り金二十万円及び同年十一月二十五日限り金十八万円を、それぞそ債務者に支払うこと。

(ハ) 債権者は、家賃として、毎月金二万円を債務者に前払いすること。

しかして、債権者は、同年十月十日及び同月十五日に金二十万円ずつ、同年十一月に金十万円を、それぞれ債務者に支払つて、前記譲受物件の引渡を受け、金七十万円を投じて室内を改装し、同年十月末からバー「るぽーる」の名で営業を開始した。しかるに、その後約一カ月半を経過した同年十二月十五、六日頃、本件建物所有者吉村通玄の代理人斎藤岩次郎弁護士から、本件建物の退去明渡を通告されたので調査したところ、次のような法律上のかしが存することが明らかになつた。すなわち、

(イ) 本件建物には、債権者吉村通玄と債務者谷山秀一、村田咲子及び志田久恵間の占有移転禁止の仮処分(東京地方裁判所昭和二十七年(ヨ)第二、〇六八号事件)が執行されていること。

(ロ) 更に、吉村通玄と谷山秀一間に裁判上の和解が成立し(新宿簡易裁判所昭和三十年(イ)第三二六号事件)、これによれば、右谷山は昭和三十三年十二月末限り本件建物から退去すべく、その間、本件建物の占有を第三者に移転しないこととされていること。

(ハ) 本件什器については、吉村通玄外二名から谷山秀一に対する強制執行として、昭和三十年五月十四日及び同年十二月十六日の二回にわたり、差押の手続がされていること。

しかして、債権者は、昭和三十二年五月六日、遂に右(イ)の仮処分の点検により、本件建物の明渡を断行した。

かくして、本件譲受物件に対する前記法律上のかしのため、債権者の本件建物内における営業は、法律上継続することが不能に帰し債権者は、債務者の責に帰すべき前記の債務不履行により、譲受代金の一部として支払つた金五十万円、本件建物の改装費金七十万円及び約定期間営業することによる得べかりし利益を失つたことに基く損害金等の合計金百五十万円の損害を蒙つたが、債務者は、右損害を賠償すべき義務がある。

よつて、債権者は、債務者を相手取り前記損害賠償債権金百五十万円の請求訴訟を提起しようとするものであるが、債務者において財産を隠匿するおそれがあるので、右債権の内金九十五万円についての執行を保全するため、東京地方裁判所に対し、別紙目録不動産の仮差押を申請したところ(同庁昭和三十二年(ヨ)第二、五五九号事件)、主文第一項掲記の仮差押決定(債権者が本件売買契約に基いて債務者に支払つた金五十万円の返還請求権に基くもの)を得た。しかして、債権者は、昭和三十三年二月十一日午前十時の口頭弁論において前記請求金額を金五十万円に減縮したから、右の決定は、結局、相当であり、いまなおこれを維持する必要がある。

(二) 仮りに、債務者が債務不履行に基く責任を有しないとしても、債権者が債務者から譲り受けた本件建物の賃借権及び什器については前記のような法律上のかしがあつたから、債権者は昭和三十三年三月十二日債務者に対し、前記契約を解除する旨の内容証明郵便を発し、同書面は、翌十三日債務者に到達した。

よつて、債権者は、民法第五百六十一条の規定により、債務者に対し、右契約解除に基く原状回復のため、譲受代金として支払つた金五十万円の返還請求権を有するから、これを本件における被保全権利とする。

(三) 仮りに、右主張も理由がないとしても、債務者は、本件譲受の目的物には前記のような法律上のかしが存在し、これを債権者に譲渡することができないにもかかわらず、ことさらに、右事実を秘し、債権者をして、目的物件には何らのかしがないものと誤信させてもつて、前記のような内容の譲受契約を締結させ、同人をして譲受代金名下に金五十万円を交付させ、更に、建物内に金七十一万円に及ぶ改装工事を施工させたものであるが、債権者は、債務者の右詐欺による不法行為によつて、前記譲受代金及び工事代金名義の金員合計金百二十一万円の損害を蒙つた。よつて、債務者は債権者に対し、これを賠償すべき義務があるから、債権者は金百二十一万円の損害賠償債権中金五十万円をもつて被保全権利とする。

二  債務者の主張

(申立)

債務者訴訟代理人は、「主文第一項掲記の仮差押決定は、取り消す。

債権者の仮差押申請は、却下する。」との判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

(理由)

(一) 債権者主張の(一)の事実中、債務者が本件建物の賃借権及び什器について、債権者主張のような譲渡契約を締結したこと、債権者が譲受代金のうち金五十万円を債務者に支払つて本件建物及び什器の引渡を受け営業を始めたこと、本件建物については債権者主張のような仮処分及び裁判上の和解が存在し、債権者が昭和三十二年五月五日頃右仮処分点検によつて本件建物より退去するに至つたことは認めるが、その余の事実は争う。

(二) 債権者の請求金額の減縮及び第二次、第三次の被保全権利の予備的追加は不適法である。すなわち、保全命令に対する異議の申立があつたときは、その命令発令当時の状態において、当該申請が理由があるかどうか、また、その命令の内容が適当であるかどうかを口頭弁論を開いて審判するものであるから、異議の申立は訴の性質を有せず、民事訴訟法の訴の変更に関する規定の適用はない。したがつて、保全命令発令後は、請求を拡張し、あるいは減縮し、また、被保全請求権を変更したりすることは許されないのである。

(三) 債権者主張の(二)の事実のうち、債務者が債権者主張の日時、債権者から本件譲渡契約解除の通知を受けたことは認めるが、債務者がかし担保責任を有することは争う。本件譲渡の目的物に関する法律上のかしは債務者においてこれを修補したから、債権者は契約解除権を有しない。すなわち、債務者は、昭和三十年十二月頃債権者から、同人が建物所有者の代理人斎藤弁護士から、本件建物の明渡を求められている事実を聞き、直ちに、同弁護士に折衝したところ、建物所有者西村は、賃借人谷山が滞納している金十万円の賃料さえ代りに支払つてもらえば、谷山が使用しうる昭和三十三年十二月末まで、債権者の本件建物使用を認める意向であることを知つたので、これを債権者に報告し、かたがた右滞納金の支払については、当時債権者が債務者に支払うべき残代金八万円を、吉村に対する支払に振り替えるよう便宜を図つたが、債権者は、営業不振のためその支払をせず、かつ、前記斎藤弁護士に、自己が正当な賃借人であることを主張して譲らなかつたため、吉村の感情を害し、遂に仮処分点検により明渡をせざるをえなくなつたのである。したがつて、債権者が本件譲受の目的を達することができなくなつたのは、専ら、債権者の責任であり、以上のようにかしの修補をした債務者において担保責任を負担すべきいわれはない。

(四) 債権者主張の(三)の事実は争う。

第二疏明関係

(債権者の疏明等)

債権者訴訟代理人は、甲第一号証、第二号証の一から三、第三、第四号証及び第六号証の各一、二を提出し、証人和田正雄の証言及び債権者本人尋問の結果を援用し、乙第四号証の成立は認めるが、その余の乙号各証の成立は知らないと述べた。

(債務者の疏明等)

債務者訴訟代理人は、乙第一号証から第四号証を提出し、債務者本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立は、すべて認めると述べた。

理由

(争いのない事実)

一  債権者が、昭和三十一年十月十日、債務者から本件建物の夜間中の賃借権を、期限は二年三カ月とし、家賃は毎月金二万円を債務者に前払することと定めて、本件什器とともに、金五十八万円で譲リ受けたこと、債権者が、右代金中金五十万円を、債務者に支払つて、同年十月末日頃からバー営業を開始したこと、本件建物には、債権者吉村通玄と債務者谷山秀一他二名間の占有移転禁示の仮処分(当庁昭和二十七年(ヨ)第二、〇六八号仮処分申請事件)が執行され、かつ、吉村通玄と谷山秀一間に、新宿簡易裁判所昭和三十年(イ)第三二六号事件として、右谷山は、昭和三十三年十二月末日限り、本件建物より退去して、右吉村にこれを明渡すべく、その間、谷山は占有を第三者に移転しない旨の、和解が成立していること、債権者が前記仮処分の点検により昭和三十二年五月五日頃、本件建物より退去するに至つたこと及び債権者が昭和三十三年三月十二日、債務者に対し、本件契約を解除する旨の書面を発し、同書面が、翌十三日債務者に到達したことは、いずれも当事者間に争いのないところである。

(債務者に債務不履行があつたかどうか)

二 前掲争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、第三号証の一及び乙第四号証並びに債権者及び債務者各本人尋問の結果を綜合すると、本件物件は、債権者と秋山陽子が共同して買い受ける約束をしたが、代金その他の営業資金は債権者が出資し、経営も、両者の折り合いが、いつしか悪くなつてからは、債権者が単独でするところとなつたこと、本件建物に対する仮処分は、昭和二十七年に執行されていること及び本件什器には、吉村等から谷山に対する強制執行として、昭和三十年五月十四日及び同年十二月十六日の二回にわたり、差押の執行がされていること、を一応認めることができ、他にこれを左右するに足る資料はない。

しかして、契約に基く債務を、履行することが不能であるというには、その目的物に、物理的もしくは法律的障害が存するため、履行期に、これを給付することができない場合でなければならないと解せられるところ、前掲説示した事実によれば、債権者は約定に従い、昭和三十一年十月末頃、債務者から、本件譲受の目的物の引渡を受けて営業を開始し、翌三十二年五月五日頃本件建物を明け渡すに至るまで、目的物件を占有してきたものであるから、このような事実関係のもとにおいては、履行不能の問題を生ずる余地がないものといわなければならない。したがつて、債権者の債務不履行を前提とする主張は、理由がない。

(債務者のかし担保責任について)

三 債権者が、債務者から引渡を受けた本件建物には、占有移転禁止の仮処分が、また、本件什器には、差押手続が、それぞれ執行されていたことは、前段説示のとおりであり、譲渡の目的物に、このような法律上の障害が存することは、民法第五百七十条にいう「売買の目的物に隠れたかしあるとき」に、該当するものというべきである。よつて、前記仮処分及び差押の存する本件譲渡においては、債権者は譲受の目的を達することができないことを理由に、契約を解除できる筋合であるところ、債務者は、前記かしを修補した旨争うが、債権者及び債務者各本人尋問の結果(但し、債務者本人の供述は後記措信しない部分を除く。)、を綜合すれば、債務者が本件建物所有者の代理人である斎藤弁護士に交渉した結果、同弁護士において、債権者が賃借人谷山の滞納賃料金十万円を支払えば、債権者に、二、三カ月間の本件建物の使用を許し、また、家賃を毎月金三万円とし、権利金に色をつければ、債権者の本件建物に対する昼夜の賃借権を認める等の意向を表示したこと、債務者が債権者に対し、同人の未払残代金八万円を、一時前記滞納賃料の一部に充当するよう、便宜を図つた事実を一応認定することができる。債務者本人尋問の結果中、右一応の認定に反する部分は、債権者本人尋問の結果に照らして、にわかに措信できないし、他にこれをくつがえすに足る資料はない。しかして、右一応の認定事実によれば、債権者が本件建物の賃借権ないし使用権を正当に取得するには、なお相当の金銭的負担を免かれず、債務者において、これを負担するならば格別、単に前記程度の交渉や便宜をはかつたのみでは、いまだ、本件譲受物件のかしを完全に修補したものということができない。

しからば、債権者は、譲受の目的物に存する前記かしのため、譲受の目的を達することができないことを理由に、契約を解除し(解除の事実は当事者間に争いないこと冒頭掲記のとおり。)これに基く原状回復として、債務者に支払つた金五十万円の返還請求権を有するものといわなければならない。

(請求の減縮、追加に関する債務者の主張について)

四 この点について、債務者は、保全処分に対する異議の申立については、民事訴訟法の訴の変更に関する規定の適用がなく、債権者の前記のような請求の減縮及び被保全権利の予備的主張は、許されない旨、主張する。いうまでもなく、保全処分に対する異議の申立は、口頭弁論を開いて当該保全事件をその申請の当初に引き戻し、口頭弁論終結当時の状態において、該命令の当否について、判決をもつて裁判することを求める申立であるから、異議の申立それ自体は、訴の性質を有するものではないが、その訴訟手続は、口頭弁論による関係で、保全事件の性質に反しない限り民事訴訟法の規定を準用すべきものと解するを相当とし、もとより同法第二百三十二条の準用についても、これを排斥すべきいわれはない。すなわち、債権者が、異議訴訟において、保全処分に定められた内容、金額等について、これを拡張することは許されないとしても、債務者の異議申立を認めて、これを減縮すること、及び保全処分発生当時の被保全権利を請求の基礎に変更のない限度で変更することは、いずれも許されるものと解するのが相当である。いま、本件について、これをみれば、債権者が、昭和三十三年二月十一日午前十時の口頭弁論期日において、請求債権額を金九十五万円から金五十万円に減額したことが記録上明らかであるが、本件仮差押決定の債権額は、もともと金五十万円であるから、請求の減縮が許されないものでない以上右減額請求は決定自体の効力に何らの影響を及ぼすものではない。また、債権者が、被保全権利について、昭和三十三年三月二十五日午前十時の口頭弁論期日において第二次の主張を、昭和三十二年九月二十四日午後一時の口頭弁論期日において第三次の主張をそれぞれ予備的に追加したことも、また、記録上明らかであるが、右第一次から第三次の主張は、いずれも請求の基礎が同一であり、訴訟手続を著しく遅滞させるものとも認められないから、右予備的主張の追加も適法であるということができる。以上と異る見解に立つ債務者の主張は当裁判所の採用しがたいところである。

(保全の必要)

五 本件仮差押の必要性は、本件口頭弁論の全趣旨により、これを推定することができる。

(むすび)

六 以上本件において疏明された事実関係のもとにおいては、債権者の申請は前説示の点を越えて判断するまでもなく、結局、理由があるということができるから、これを認容してした主文第一項掲記の仮差押決定は相当ということができる。

よつて、これを認可することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 篠原弘志 鳥居光子)

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